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ワイキキの魔法の石 「カパエマフ」の真実が明らかに

ワイキキの交番の隣りに鎮座している石をガイドブックでは、「魔法の石」として紹介されています。なぜそう呼ばれているのか? なんとなくすごそうという雰囲気だけで、実のところ詳細はかわからずに「パワースポット」として注目されていました。 今年6月から10月にかけて3ヶ月間ビショップミュージアムで開催されていた展示では、語り継がれていた本当のストーリーが明らかになりました。

目次

ヒーラーたちの石 Kapaemahu (カパエマフ)

観光客の往来が激しいワイキキで、しかもビーチの目の前に突如あるこの4つの巨大な石たち。塀に囲まれて物物しく保護されていますが、形もどれも歪だし、一体なんだろう?と思った方も多いのではないでしょうか? これは 一般的に「魔法の石」と紹介されていますが、決してこの石に魔法がかかっているというわけでなく、この石に触れれば魔法にかかるというものでもありません。そもそもなぜ「魔法の石」と呼ばれているのかと言うと、英語の「WIZARD STONES」を訳したのだと推測されますが、WIZARD は、魔術師、魔法使いの意味。魔法の力をもった人間を指すわけです。

そして、この石は4人の偉大なヒーラーたちを称えた石で、そのヒーラーのリーダーの名前である「Kapaemahu(カパエマフ)」を総称で使っています。

つまりまるで魔術師のようなヒーラーだったから、”WIZARD STONES”と英語では呼ばれたのでしょう。

口承で伝えられたストーリーの全てが明らかに

2022年6月18日〜10月16日の約4ヶ月に渡りビショップミュージアムにて、「Healer Stones- Kapaemahu」の展示が開かれました。この展示に大きく貢献しているのが、Hinaleimoana Wong-Kaluさんで、クムヒナ(ヒナ先生の意)の愛称で親しまれています。クムヒナは、ハワイアンの血をひき、先祖代々からこのKapenamahu (カパエマフ)のことを伝え聞いていました。しかし、世間一般に知られているストーリーは意図的に変えられている部分があり、そこを危惧し、「正しい内容を伝えよう」と活動。そして、短編アニメ映画を制作。 なんとそれは2021年のアカデミー賞でショートアニメフィルムの部門でノミネートされ、ハワイ初の快挙でもありニュースでも取り上げられました。そのクムヒナとビショップミュージアムがタッグを組み、今回の展示会開催となったのです。

タヒチから来た4人の偉大なヒーラーたちを讃えるための記念碑

展示会場では、短編アニメ映画も上映されており、また同じ内容の絵本の販売もされていて購入したので、その内容を簡単に日本語訳したいと思います。

KAPAEMAHU (カパエマフ)

昔々カクヒヘヴァ(*注1) がオアフ島を治世した頃よりはるか昔に、ライアテア島のモアウラヌイアケアから4人のタヒチアンが海を超えてやってきました。その4名はワイキキのウルコウ(*注2)に定住しました。

彼らはとても背が高く、低い声でありながらもとても優しい口調で喋ります。彼らは男性でもなければ、女性でもない。彼らはマフ。両性のマインド、心、スピリットを持っていました。そのグループのリーダーはカパエマフと呼ばれました。神々は、この4人の優れたヒーリーング技術を大変気に入りました。

カプニは素晴らしいスピリチュアルパワーを持っていました。キノヒは、全てを見通すことができました。カハロアは、離れたところから癒すことができました。そして、カパエマフは手で触れることで癒すことができました。

4人はヒーリングの知恵をこの島の人々に遺贈しました。ヒーラーが仕事を終えると、彼らの素晴らしい治療に感謝の意を表したいと思い、人々は彼らの功績をたたえた記念碑を建てることにしました。

月が見えない夜、人々はカイムキのベルロックで有名なエリアに集まりました。そして、4つの巨大岩をワイキキへと運んだのです。

太陽が昇ると、ヒーラーたちは自分たちの力を石に送りはじめ、マフの2つのスピリットを現す偶像をそれぞれの石の下に置きました。この儀式は満月まで続きました。そして、彼らのヒーリーングパワーが無事石の中に送りこまれたとわかると、4人は消えていきました。

その石は何世紀にも渡り、聖なる場所にありました。しかし、時が流れ、全てが変わりました。カパエマフの石は忘れられ、ボーリング場の下に埋められました。石は再び外に出されて修復されましたが、それでも歴史はまだ隠蔽されました。ヒーラーたちはマフだったという事実を消したのです。

それは大きな損失であり、とても恥ずべきことです。 これらの石の真の歴史を理解して初めて、その生きた力を見ることができます。このストーリーをシェアする時は、それを讃えよう! Life, life, life… Long life to the story of Kapaemahu.

注1* 1500年代にオアフ島を統治していたオアフ島の首長。人々が平和で豊かに幸せな暮らしを送ったとされる時代と言われ、人々から敬愛されていた。

注2* 現在のモアナサーフライダーホテルがあるあたり

この石の重要性を理解していた人たち

左:アーチボルト・クレッグホーン 中: 妻リケリケ王女 右:娘リリウオカラニ

この石の文化的重要性を理解している人もいました。その1人が、アーチボルト・クレッグホーン氏。スコットランド出身のビジネスマンだったアーチボルトは、ハワイ王国第8代リリウオカラニ女王の妹リケリケ王女と結婚をし、娘カイウラニ王女をもうけています。

クレッグホーン氏の邸宅。その前にカパエマフの石があった。左隣は、モアナホテル

現在のプリンスセスカイウラニホテルがある場所をはじめ、モアナサーフライダーホテル周辺の土地を所有し、彼の邸宅の目の前にカパエマフの石たちはありました。

リケリケ王女は、海に入る時必ずこの写真のように海藻のレイを石にかけ、祈りを捧げてから入水したそう

残念なことに、結婚17年目妻のリケリケ王女も36歳の時になくなり、その11年後に娘のカイウラニも23歳という若さで急逝してしまったのですが、その母娘は生前よく海藻のレイを作って、この石に捧げていたと言われます。恐らくこの石について語り継がれていたストーリーをアーチボルトも聞いていたから、この石の重要性を知っていたし、またいずれ除去や破壊されてしまう危険も予測していたのではないかと思います。

だから、1910年に彼は遺言書に「この石を保護すること」と残しました。

ところが、ここの土地をボーリング場建設のディベロッパーに貸し、1941年にボーリング場を建設する時にその下に埋めてしまったのです。 それから1962年にボーリング場が取り壊された時にまた外へと出し、翌年1963年に由緒書きとともにまた奉られました。しかし、そこには「4人のヒーラーはマフ(MAHU)であった」ことは触れていませんでした。

隠蔽された事実 : 4人のヒーラーたちはマフだった

左:ジェイムス・ボイド氏 右:トーマス・スラム氏

もともとハワイは口承文化で、カパエマフの話しも口伝えでした。それを初めて文章にしたのは、アーチボルトの義理の息子ジェイムス・ボイド氏。彼が書いたのは、ハワイ王国8代リリウオカラニ女王から聞いた話しではないかと言われています。 そして、ボイド氏の手書きの原稿をもとに、1907年にトーマス・スラム氏がハワイ語タイトル “Ka Pohaku Kahuna Kapaemahu ” そして英語のタイトル “Tradition of the Wizard Stones Kapaemahu.”とともに新聞に掲載をしました。 つまり、Wizard Stones と呼ばれている所以は、この新聞記記事からきているのですね。

そして、この記事には、4人のヒーラーたちは、マフ(MAHU)であったこともきちんと書かれています。

ところが、1963年に改めてワイキキビーチに置かれた時、台座の由緒書きには確かに、この石はタヒチからきた偉大なヒーラーたちのマナが宿った石碑であることは書かれています。しかし、この4人のヒーラーたちはマフ(MAHU)であったことは一切触れていないのです。当時ハワイアンの学者である、メアリー・カヴェナ・プクイ氏は、カペナマフのヒーラーたちの全てのストーリーを知っており、それを伝えていたのにも関わらず、彼女の知識は無視されたのです。

古代ポリネシア時代からサードジェンダーの存在を認めていた

先述した物語の中にあるように、マフ(MAHU)は男性と女性の両方のマインド、心、スピリットを持っている人たちのこをとさします。一般的に、ホモセクシャル、ゲイ、おかまというふうに訳されますが、ハワイを始め古代ポリネシアでは、他の世界が「KANE(男性)」「WAHINE(女性)」と2つに分けてしまっている中、MAHUという言葉のような「彼」や「彼女」の間の性に関する表現があり、そのようなサードジェンダーの人たちも敬っていたのです。

その文化は脈々と受け継がれ、ハワイ王族の人たちも、マフ(MAHU)との交友関係があったことを隠すことなく、その記録もきちんと残っています。ところが、西洋人の性的概念に侵食されてしまい、マフ(MAHU)のようなサードジェンダーは、排除、嫌悪の対象となってしまったのです。 それはハワイの融和的価値観も大きく変えてしまいました。

ヒーリング、性の多様性、融和的価値観を象徴する石

今回の展示では、ハワイのヒーリングの歴史も綴られていました。古代ハワイのヒーリングは、物理的世界と精神性の世界両方を含んで治療が行われていました。例えば、古代ハワイの見方では、身体的病気は、 家族間の緊張と不和が原因である可能性が高いと考え、 悪い感情を修復し、トラウマを軽減するために、ホーポノポノという療法を行なっていました。

それもタヒチからきた4人の偉大なヒーラーたちがハワイを去る前に伝えていってくれたことなのです。 そんな4人のヒーラーのマナを残すために、ハワイの人たちが遠いカイムキから巨大な石を運んできたわけです。

カペアマフの石は、ハワイの人たちのヒーラーたちに対する尊敬と感謝の念がいっぱいつまった石でもあるのです。

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この記事を書いた人

ハワイ在住12年
無駄に深掘り大好き
主婦ライター&ポッドキャスター

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