EXILEのボーカルATSUSHIが、ブルーノマーズの人気曲「JUST THE WAY YOU ARE」をカバーしたり、2022年10月の日本コンサートでは、嵐の松潤や櫻井翔も見に行ったと日本の国民的スターをも魅了するブルーノ・マーズ。実は彼はハワイ出身。彼の生い立ちや、世界的スターダームにかけあがったきっかけ、さらに2014年ハワイのコンサートで前座を務めた実父のバンドの映像もご紹介します。
幼少時は「リトル エルビス」と呼ばれ有名だった
NY出身のプエルトリコ&東欧ユダヤ系の血を引く父はミュージシャン、フィリピンからの移民1世の母はフラダンサーで、2人はワイキキのステージでパフォーマンスした時に出会い結婚。 6人の子供たちが生まれ、そのうちの1人がブルーノ・マーズ。1985年10月8日生まれで、本名は、ピーター・フェルナンデス。2歳の時に、プロレスラーのブルーノ・サンマルチノに似ているからと、父が「ブルーノ」と呼ぶようになったのだそう。
プロのパーカッショニストであった父の影響で、子供の頃から小さなドラムセットやピアノ、ギター、さらにパーカッションに自然と触れる環境にありひいていました。さらに、叔父にエルビス・プレスリーのモノマネをする人がいて、その叔父に「エルビス・プレスリーとマイケル・ジャクソンをやってみなさい」と薦められたのがきっかけでパフォーマンスをする様になったと言います。4歳の時にはファミリーバンド The Love Notesとともに週6日ステージに立ってエルビス・プレスリーの真似をするショーをやっていました。こうしてハワイの「リトル・エルビス」として有名になっていきました。
ただ、5歳の時にエルビスの名曲「Can’t Help Falling Love」を歌っている最中におもらしをしてしまったことがあり、その時両親は「子供に間違った道にいかせているのではないか?」と思ったそうです。でも、それでもブルーノ自身はやめることはなかったと言います。1990年にはアロハスタジアムであったカレッジフットボールのボウルゲーム「Aloha Bowl」のハーフタイムショーでパフォーマンスをしました。(この頃はのちに本場スーパーボウルのハーフタイムショーや、また自身のバンドコンサートでアロハスタジアムで満員コンサートをやるなんて思っていなかったでしょうね!)
そして、このTV番組に出演した時のインタビューで2分29秒あたりで、司会者に「何歳からエルビスをしているんだい?」と聞かれ、「2歳」と答え、「今は何歳なんだい?」と尋ねられたら「6歳」と答えています。 つまり、こちらはブルーノ・マーズが6歳の時の映像です。
どうやらアメリカ各地からパーフォーマーが出演して、採点で競いあい、点数が高い方が1週間分の食料品をもらえるというショーのようで、司会者は「いつも同点だけど、絶対君が勝つよ」と言っていたのですが、結局10vs10で同点。ブルーノもショックな様子。ただ、相手チームに「この子に商品をあげていいでしょ?」と司会者が尋ね、相手(女性シニアダンサーズ)の方も「もちろんよ」と言って譲っています。
そして、司会者が「これでもう同点じゃないよ! 同点じゃない!」と叫ぶと、神に感謝するポーズをしており、これを自然にやっている姿に司会者をはじめ観客たちも魅了されています。
この頃からスター性抜群なのがよくわかります。
1990年代前半ワイキキで「リトル・エルビス」のショーを見たことある日本人の方もきっと多いはず。覚えのある方!あれが今や世界のトップスターブルーノ・マーズですよ!
高校卒業とともにL.Aへ行きプロのミュージシャンを目指す
ブルーノ・マーズが12歳の時に両親が離婚をし、それとともにファミリーバンドThe Love Notesも解散。リトル・エリビスの活動も終了となりました。父とブラザー(兄か弟かは不明)とともに家を出て、お父さんはビジネスを手がけるもうまくいかず、転々と職が代わり安定した収入がなく、2年間ホームレスのような生活をしていました。 学校も転校し、最初はいじめられました。しかし、最後は結局クラスの人気者になったというエピソードもあり、あの底抜けに陽気なキャラクターなら納得と頷く人も多いのではないでしょうか?
その中でも音楽は続けており、高校でもThe School Boysというバンドを組んでアイズリー・ブラザーズやテンプテーションズのカバー演奏し、やはりハワイのエンターテイメント業界では有名になり、有名なマジックショーやマイケルジャクソンのモノマネショーの前座を任せられるようになります。この当時で毎回のショーで1回$75のお給料もらっていて家計を支えるようになりました。
そして、高校卒業とともに彼はプロのミュージシャンになるためにカリフォルニアに行きます。写真は、ブルーノが母の日に投稿したもので、簡単な和訳をしました。
「僕は母に卒業証書をあげるという約束をしていました。良い成績については何も言いませんでした😂これはハワイのルーズベルト高校を卒業した日の写真です。母はとても誇りに思ってくれたと同時に、まさか僕がやってのけたとは信じられませんでした。僕は母に伝えました「僕はL.Aに行くよ。次僕が何を一体やりのけるのか見ていて!」と。母は僕を信じてくれ、いつも一歩ずつ進む道の傍らにいてくれました。学校では先生は僕のことをピーターと呼ぶけれど、家で母と父は必ずブルーノと呼びました。そう呼ばれることでスーパーパワーか何かを感じることができました。でも、今はわかるのです、母こそがスーパーパワーでした、今もそうです。 Happy Mother’s Dayママ。僕はなんでもできるんだって思わせてくれてありがとう! I love and miss you so much! 世の中の全てのスーパーママへHappy Mother’s Day」
ステージ名Bruno Mars 誕生秘話
すでにL.Aに住んでいた姉がレーベル会社にブルーノのデモテープを聴いてもらったりしており、その姉がブルーノにLAに来るよう薦めました。そして、彼は高校卒業とともにLAへと引っ越します。 ステージネームは父が名付けてくれたニックネーム「Bruno(ブルーノ)」にしようと即決。 そして、「火星」を意味するMars とつけようと思いつきます。それは、周りの女友達から「この世の人とは思えない」とよく言われていたので、「自分は火星からきたんだ」と。さらに、ステレオタイプなミュージシャンにはならないように戒めの意味も込めて、Marsにしようと決めました。 実のところ、周りの音楽業界関係者は、新たなラテンアーティストとして売り出そうとしていて、 スペイン語で歌うように説得してきたと言います。ブルーノは彼らの型に嵌まらないと心に決めていたのです。
最初はプロデューサーとして活躍
LAに引っ越した当時は本当にお金がなく、電話代も払えず止められたりしたそうです。ハワイでミュージシャンとして活動ししている時は、家賃滞納をすることはなく、プロのミュージシャンとして生きる難しさの現実に初めてぶちあたったのです。それからなかなかデビューに恵まれず、最初はプロデューサーや楽曲提供で他のミュージシャンのために音楽を作る立場で実力をつけていき、続々とヒット曲を誕生させました。
ソロデビュー後はビルボード1位の常連 最も多くのグラミー賞を獲得
プロデューサーとして認められる存在になり、満を辞して2010年に「Just The Way You Are」をリードシングルとして作ったデビュースタジオアルバム「Doo-Wops & Hooligans 」 をリリース。すると、アメリカ、カナダ&オーストラリアなどビルボードチャート1位を獲得。そして、翌年のグラミー賞では6部門にノミネートされ、最優秀男性ポップボーカル賞を受賞。その後2022年の現在までにグラミー賞を15回受賞(そのうち3度はレコード・オブ・ザ・イヤー)、ギネス世界記録を3つ獲得しています。
「最も多くのグラミー賞を獲得したアーティスト」と「一晩で最も多くのグラミー賞を獲得したアーティスト」の一人になります。
また現在までに世界中でCD売上1億3千万枚を記録し、最も売上の多いアーティストの1人となっています。
スーパーボウルの試合より高視聴率だったハーフタイムショーが起爆剤
ソロデビューして瞬く間にスターとなったブルーノ・マーズですが、彼が一気に世界中で大きな注目を浴びるきっかけとなったのが2014年のNFL スーパーボウルのハーフタイムショーでした。スーパーボウルは、毎年2月に開催され、200以上の国と地域でテレビ中継されており[4]、特にアメリカでは毎年テレビ番組で年間最高視聴率を記録すると言われるアメリカで最も人気のあるスポーツです。実際に私もこの日はレストランで観戦していたのですが、途中みぞれ降る悪天候の中で行われたゲームでしたが、正直グダグダなゲーム展開でフットボールファンは前半を見終わったところでちょっとがっかりしていました。そして、はじまったハーフタイムショーで現れたブルーノ・マーズ。
多くの人が彼の曲は知っているけれども、ライブを見るのは初めてです。 彼の圧倒的な歌唱力とダンス、アップビートで盛り上げるパフォーマンス。見ているものは彼のカリスマ性に見事に惹き込まれ大盛り上がり! なんと後でわかったのは、実際のゲームの視聴率より彼のハーフタイムショーの視聴率の方が上だったという驚異的な記録を作りました。
この時「ブルーノ・マーズのコンサートの中でフットボールゲームが開催された」と言われたほどでした。
これで一気にファンを増やし、彼のコンサートを観たい!と思う人が激増し、コンサートチケットも即完売となる大人気アーティストへとなったのです。
*追記* 2016年のハーフタイムショーにもBeyonceやColdplayと共演しています。
ハワイ凱旋コンサートにはお父さんのバンドも前座で登場!
大成功のハーフタイムショーを終えて、それまでブルーノ・マーズを知らなかった人たちの注目を浴び大スターとなったわけですが、その2ヶ月後の4月にハワイのブレイズデルセンターでコンサートがありました。前年から始まっていたワールドツアーでしたが、ハワイの人々はあのハーフタイムショー直後だったので、感動ひとしお。
さらに、この時の前座には、NYで活動をしているお父さんのバンドが登場しました! 音楽を教えてくれたお父さんへの敬意を表わし、こうして世界のスーパースターを誕生させたハワイに親子で凱旋コンサートをしてくれたのです。
お父さんのバンド演奏も素晴らしく、NYに行った際には見に行きたいと思うほど。
この後ブルーノ・マーズは2回ハワイでもコンサートをやっていますが、お父さんのバンドが登場したのはこの時限りです。当時のIphone6で撮った動画ですが、今となっては大変貴重な映像ですのでどうぞご覧ください。
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